六月の奈良
この間まで黄緑色だった景色が絵具箱のビリジアン色に変わる。鹿の毛も衣更えして白い斑点がくっきりする。小鹿誕生の知らせが続々届く。煮麺ではなく冷たい素麺がおいしくなる。南都銀行本店のショーケース展示が率川神社三枝祭に変わり笹百合の造花が飾られる。この町の六月はそんな風に始まる。
6月6日は鑑真和上のご命日にあたり、唐招提寺では開山忌舎利会が営まれる。その前後に特別開扉される鑑真大和上坐像のもとへはいつも大勢の方が参拝される。弟子の忍基(にんき)が制作を指導したと伝わる坐像は在りし日の和上の面差し、佇まいを留めているに違いなく、その不屈の精神を感じさせつつも優し気な存在感に引き込まれる。しばらく坐像は新宝蔵に遷座されていたが、今年ようやく御影堂の修復工事が完了し、5日に落慶法要が行われると聞く。御影堂特別拝観は感染症対策の為事前予約制をとられてすでに完了しておられるそうだ。境内の北東にある鑑真和上の墓所、開山御廟は美しい苔に囲まれて、そこだけ少しひんやりとする。中国からの敬意もそこここに感じられる厳かな空間だ。
そして同じく6日には秋篠寺で年に一度の大元帥明王の御開帳。年に一度とあってそれはそれは多くの参拝客でいつも大行列、数時間待ちとなることも。それでも不思議と心落ち着いていられるのは境内をおおう見事な苔の庭のおかげか。ふかふかと柔らかそうな美しい苔が心の喧騒も吸い取って浄化してくれる気がする。雨の日はさらに美しい。身体に蛇をからませた大元帥明王の激しい怒りの表情とは対をなすような静謐な境内。
6月も半ばをすぎると賑やかだった修学旅行生や遠足の小学生の姿が見えなくなり、観光客も少なくなり、ホテル尾花の周辺も静かになる。17日には率川神社三枝祭が執り行われ、酒罇に笹百合の花を飾って神前にお供えされる。コロナ前までは七媛女(ななおとめ)・ゆり姫・稚児行列なども行われ、知り合いが行列に参加しているのを写真に写そうとよく出かけたものだが再開されるだろうか。祭が終わるとあちこちの店先におさがりの笹百合が飾られているのを見る。もう夏が来るんだなと思う。
猿沢池で夕日を眺めるのが日課だが、日が長くなり6月はマジックアワーに遭遇する機会が増えてくる。日没後の薄明りの時間帯、空の色が劇的に美しい色に染まる特別な夕焼けの時間だ。生駒山の際がピンク色と金色に輝き、上から少しずつ紫色がおりてくる。猿沢池の水面に空の色が映り、それがまた照り映えて辺り一面の色も染めていく。それは一瞬のできごとで、空はみるみる青く染まりゆき、夜の帳が下ろされる。一昨年の夏至の日は劇的なマジックアワーだった。今年はどうだろう。夏がやってくる。