1. HOME
  2. ブログ
  3. ホテル尾花でございます~尾花座その②~

ホテル尾花でございます~尾花座その②~

明治42年10月に杮落としした尾花座はその後一流どころの公演が続きます。道頓堀にも引けを取らない煌びやかな興行の数々には驚かされます。歌舞伎、浄瑠璃、新派演劇、浪曲、落語と多様な出し物があったことは残された奉献額で読み取ることができます。この奉献額は尾花劇場解体時に「開かずの間」として誰もあけたことのなかった部屋から出てきました。貴重な史料として現在は奈良市史料保存館にあずかっていただいております。一部の額は地階日本料理おばなに飾っておりますのでお食事の際にご観覧いただければと思います。

明治時代のものを順を追ってご紹介します。

明治42年11月 実川延二郎・片岡我當

明治43年3月 竹本大隅太夫

 

 

 

明治43年5月川上音二郎

明治43年8月 吉田奈良丸

明治43年8月 京山小円

明治44年5月 豊竹呂昇

明治44年5月桂米團治・桂春団治・千歳米坡

 

 

 

 

明治44年6月大阪三友派・東京柳連落語若手一座

 

 

 

 

明治44年11月 秋月桂太郎

 

一つ一つの奉献額に関わったスタッフ全員の名前が記されており、それぞれの公演には多くの人々がかかわっていることがよくわかります。出演者の名前一つ一つを調べていくと明治の芸能の世界が広がって興味深いことこの上ございません。尾花劇場解体前に、これらの奉献額を故・人間国宝桂米朝師匠が見学に来られまして事細かに解説してくださったそうですが、録音テープでも残しておいてくれたらよかったのにとはなはだ残念に思っています。

さて、これほどまでに煌びやかな興行の数々ではありますが、当時奈良市の人口3万4千人ほどの時代、今でもそうですが、奈良で興行を行って収益を出すのは難しかったのではないでしょうか。

やがて座主の山田猪三郎氏は病にたおれ、尾花座は存続のために経営組織を改編。美術商、製墨業、料亭経営者など地元市民組織により奈良劇場株式会社を設立します。

 

関連記事