ホテル尾花でございます ~尾花座その①~
令和2年6月1日よりホテルサンルート奈良は「ホテル尾花」へ改称し新たに歩み始めます。
昭和56年3月9日の開業以来、40年の長きにわたりご愛顧賜りましたお客様、ご支援くださいましたお取引様、誠にありがとうございました。奈良の皆様のお力添えにも心より御礼申し上げます。おかげさまでこの日を迎えることができました。
かつてこの地にあり奈良の皆様に愛された「尾花座」の名前を再び冠し、これまで経験させて頂いたことを土台に今後はより一層お客様、奈良の皆様との結びつきを大切にした居心地の良い空間づくりを目指します。
世界は今、新型コロナウィルス感染拡大の影響で未曾有の状況にございます。
それぞれのお立場でのご尽力誠にありがとうございます。
またいつの日か旅を楽しめる日が戻ってまいりますことを一同奈良より祈っております。
さて、この機会に尾花座についてご紹介させていただきましょう。
明治42年10月23日、尾花座は大改築工事を終えて杮落としの興行を行いました。
役者は市川斎入(初代市川右團次)を座頭とする百名近い大一座。
国鉄奈良駅から尾花座まで人力車を並べてお練りが行われ、それはそれは華々しいことだったそうです。
興行の成功を祈念した奉献額が残されています。現在は奈良町史料保存館で保存していただいております。
尾花座の改築と杮落とし興行に関わった人々、112名の名前が記されています。
また、對竹書の尾花座扁額は現在当館地階日本料理おばな入口に掲げております。
発起人は木辻遊郭の楼主と伝わる山田猪三郎。奈良尾花座に一流の芝居を呼び、一流の芝居小屋にしようとするその心意気に賛同した地元市民11名が名を連ねています。
わかりやすく申せば、素人市民集団が劇場を立ち上げた、ということになりましょうか。
志高く、杮落とし興行の後も一流の出演者が次々と舞台にあがっています。
明治42年の奈良では、尾花座以外にも、5月に南半田町に寧楽座、9月に中井座が開場しています。
また、3月に奈良監獄所の移転、5月に奈良女子高等師範(奈良女子大学)落成開校、10月に奈良ホテル開業、11月に県立図書館開館と大きな建築物の竣工が相次ぎました。
また、東大寺大仏殿の修復工事も6月から始まりました。尾花座改築には大仏殿工事の余材を使用したという話も伝わっています。
日露戦争勝利後の戦勝気分もあり、外国人観光客も増えていたとかで、とても景気の良い時代だったのですね。
この続きはまた今度。
ホテル尾花の前身尾花座の物語を続けてまいります。
尚、このブログは『奈良の尾花座百年物語』の第二部、島田善博先生に書いて頂いた尾花座の歴史を参考にしております。